むかしむかし、北米の西のはし、小さなフィダルゴ島で私たちは育ちました。島はチューリップ畑に彩られ、広い太平洋に抱かれていました。
海とともに生きる家族にとって、海は美しさや喜びをもたらすと同時に、ときに大きな力を示す存在でもありました。
けれど1983年、ベーリング海で二隻のカニ漁船が遭難し、父も叔父もいとこも幼なじみも、14人の大切な人が帰らぬ人に。町は深い悲しみに包まれました。
深い悲しみの中で、それでも私たちの心には、命を思うぬくもりと支え合うやさしさが残ったのです。
そのあと、私たちを包んでくれたのはグランマでした。
庭に遊ぶうさぎたちのお話を聞かせながら、針と糸で小さなぬいぐるみを作ってくれる手は、傷ついた心をやさしくつくろい、夜も安心して眠れるようにしてくれました。
やがて私たちも冒険を夢見て、布から仲間を生み出し、物語の世界をかたちにしていきました。
フィダルゴ島は「コオロギ島(Cricket Island)」になり、空想のキャラクターは周りにいる勇敢な人たちからインスピレーションをもらって生まれました。
あれから40年近くの時が流れました。
今も私たちはうさぎを作り続け、漁をしたりクジラを眺めたり、チューリップを育てたりしながら「コオロギ島」で暮らしています。
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